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東京の旅と歴史
東京の旅      台東区上野

寛永寺
かんえいじ)
東京都台東区上野桜木1−14−11
Tel 03-3821-4440


 寛永寺の旧本坊表門は慶応4年(1868)5月の上野戦争の兵火を唯一免れた建物です。寛永寺の本坊は、現在の東京国立博物館の地に建立されていました。現在はその表門だけが往時の姿を留めています。門には官軍の攻撃による弾痕が数多く残っています。国の重要文化財に指定されています。
 江戸時代、現在の上野公園に寛永寺の堂塔伽藍が整然と配置されていました。現在の噴水池周辺に、本尊薬師如来を泰安する根本中堂があり、その後方に本坊があり「東叡山の山主である」輪王子宮法親王が居住していたそうです。
 開山堂は開山した天海僧正(慈眼大師)と2代目慈恵大師を祀っています。天海僧正は天台宗本山延暦寺と対抗できる関東の天台宗本山寛永寺を造営し、幕府の天台宗制覇を実現する意図があったようです。
 寛永寺全体の表門というべき黒門は荒川区南千住の円通寺に移築され現存しています。現在、上野公園にあるのは、丸の内にあった鳥取藩池田家江戸上屋敷の正門が移築されたものです。


殉死者の墓
上野公園内 現竜院墓地内
 慶安4年(1651)4月20日、徳川3代将軍家光が他界しました。後を追って老中堀田正盛、阿部重次らが殉死しました。4代将軍家綱の時代寛文3年(1663)幕府は武家諸法度を改正し殉死を禁止しました。




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