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東京の旅と歴史
東京の旅          港区白金台

明治学院大学
めいじがくいんだいがく
東京都港区白金台1ー2ー37


 桜田通りに面した明治学院大学は日本最古のミッションスクール(キリスト教主義学校)です。ヘボン式ローマ字の考案者として有名なアメリカ人宣教師ヘボンが創立した学校を前身としています。
 明治学院にはインブリー館、チャペル(礼拝堂)、明治学院記念館などがあり、いずれも平成14年(2002)に東京都港区の「景観上重要な歴史的建造物等」に指定されています。

 旧宣教師館のインブリー館は平成10年(1998)に国の重要文化財に指定されました。洋風住宅の特徴を最も良く示す宣教師館として貴重な建物です。
明治学院インブリー館
 島崎藤村が小説「桜の実の熟する時」の中で、「・・向ふの講堂の前から敷地つづきの庭へかけて三棟並んだ西洋館はいづれも捨吉が教を受ける亜米利加人の教授達の住居だ。白いスカアトを涼しい風に吹かせながら庭を歩いて居る先生方の奥さんも見える・・」と書いています。
明治学院インブリー館
 インブリー館はウィリアム・インブリー(William Imbrie 1845-1928)博士が長く住んでいたことから名付けられています。明治22年(1889)頃の建物で、木造、瓦葺きの2階建てで、建坪は1、2階とも延371.5平方mです。
明治学院インブリー館
 建築様式は1870年代アメリカで流行した木造住宅様式です。大正3年(1914)の火災により屋根と外壁の一部が類焼しました。昭和39年(1964)に東京オリンピックにともなう国道1号線の拡幅で現在地に曵き屋され、平成9年(1997)に修復が完成しています。
明治学院インブリー館

 明治学院チャペル(礼拝堂)は大正5年(1916)に日本に数多くの建物を残したW.Mヴォーリズの設計により建てられました。ヴォーリズ自身もここで結婚式を挙げたそうです。平成元年(1989)に東京都港区の有形文化財に指定されています。
明治学院チャペル(礼拝堂)
 チャペル(礼拝堂)は明治学院のキリスト教主義教育のシンボルとして、当初から同じ場所に立ち続けています。中央に尖塔がある2階建ての煉瓦造り(一部鉄筋コンクリート造り)で延床面積は553.61平方mです。昭和41年(1966)には、ドイツ・ヴァルカー社製作のパイプオルガンが設置され、平成21年(2009)にはオランダのファン=エーケン氏に発注した新オルガンが荘重な響きを伝えています。
明治学院チャペル

 明治学院記念館は島崎籐村が在学中の明治23年(1890)に建造された赤レンガ造りのシックな建物です。当時アメリカで流行したネオゴシック様式で、当初は、神学部の教室、教授室、図書館として使用され、現在は、1階は小チャペル、学院牧師室、2階は明治学院歴史資料館などになっています。昭和54年(1979)に東京都港区の有形文化財に指定されています。
明治学院記念館
 島崎藤村が小説「桜の実の熟する時」の中で、「・・新しく構内に出来た赤煉瓦の建物は、一部は神学部の教室で、一部は学校の図書館に成っていた。まだペンキの香のする階段を上って行って二階の部屋へ出ると、そこに沢山並べた書架がある。一段高いところに書籍の掛りも居る。…書架で囲はれた明るい窓のところには小さな机が置いてある。そこへも捨吉は好きな書籍を借りて行って腰掛けた・・」 と書いています。
明治学院記念館
 2階建ての煉瓦造りで、一部木造の床面積516平方mあり、屋根は銅板一文字葺きです。明治27年(1894)6月の大地震で大破しました。尖塔は大正3年(1914)のサンダム舘の火災時に類焼して改造されたものです。大正12年(1923)の関東大震災では煉瓦の大煙突が崩壊しました。昭和41年(1966)国道1号線(桜田通り)の道路拡張のため、現在地に移動復元されました。
明治学院記念館



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