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埼玉の旅と歴史
埼玉の旅      秩父市

三峰神社
みつみねじんじゃ
埼玉県秩父市三峰298−1
Tel 0494-55-0241


 社伝によれば、日本武尊が東征のおり秩父に立ち寄って日本では最初の夫婦神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉册尊(いざなみのみこと)両神を祭ったのが始まりといわれています。
 このとき、日本武尊が争いあう二匹の狼を仲裁したことで、三峰山に住む狼が尊に従い眷属となったそうです。人々から大きな信仰を集めているのは、この御眷属(ごけんぞく)様と呼ばれる神使の「大口真神」です。これは秩父山中に生息していた狼を祀ったものなのです。
 三峰神社の神門や鳥居の前にはたくさんの狼の像(狛狼)が置かれています。これが御眷属様です。「神犬」あるいは「オイヌサマ」とも呼ばれています 。御眷属様の護符を受けることで、盗賊や火災から御眷属様が守護してくれると信じられていたのです。
 御眷属様は、本殿左手奥の摂社、御仮屋神社に祀られています。 人々は毎年神社から御眷属様を「借り」て祠(仮宮)に祭っていました。こうして拝借した御眷属様一疋の威力は50戸に及んだそうです。安政5年(1858)には1万疋以上の御眷属様が拝借されていたそうです。
 創祀は景行天皇41年(111)日本武尊によって祀られ、後に神仏混淆の山となりました。江戸時代までは山伏たちの修験の山として栄え、別当観音院が支配していました。三峯山は、雲取(くもとり).白岩(しらいわ).妙法(みょうほう)の三つの峰が特に秀でていることから名付けられたそうです。
 修験道は、役小角を開祖とし、山岳での修行により、霊力を身につける実践的な宗教だそうです。役小角は、三山のひとつ雲取山に飛来し修行したと伝えられています。その後景行天皇の巡幸に際して「三峰宮」の称号を賜ったといいます。
 奈良時代には聖武天皇が「大明神」の称号を贈り、妻の光明皇后が使者を送って観音菩薩像を安置したと伝えてられています。この頃から神と仏が融合調和する神仏習合がおこりました。三峰神社も古くから神と仏が融合調和した聖域であったと考えられています。
 鎌倉時代には畠山重忠ほか関東武士の崇敬を受けました。 荒廃した時期もあったようですが、16世紀初頭の戦国時代には中興の祖とされる月観道満が諸国を勧進し、社殿を再建しました。
 さらに江戸期には、天台宗聖護院派の修験道場として栄えました。空海が安置した十一面観音に始まるとされる別当寺は観音院高雲寺と称し、同派の関東における拠点として10万石格ともいわれる繁栄を誇りました。明治維新の神仏分離によって三峯大権現は三峯神社となり、僧(修験者)たちも還俗したあと、神に仕えるようになりました。


 本殿(県指定有形文化財)は寛文元年(1661)中興第6世龍誉法印が、願主となって造営しました。一間社、隅木入春日造り、石積の壇上に立ち、正面と両面に縁をまわし、勾欄(こうらん)をつけ、屋根は銅板葺き、総体に木割も太く、堂々とした格調高い建造物です。全体に漆が塗られ、斗組・虹梁・柱頭などには極彩色が施されています。
三峰神社本殿
 「寛文元年霜月廿日」の銘ある棟札が現存し、第6世竜誉法印が願主になって造営したことが記されています。なお、寛文元年建立の本殿は再建で、その前の旧本殿は、境内の東照宮の上舎として現存し、三峰神社に残る唯一の貴重な室町時代の建造物です。
三峰神社本殿

 拝殿は祭典を行なったり参拝者が昇って拝礼する場所です。寛政12年(1800)再建され、極彩色の装飾が施されています。正面に見える千鳥破風や唐破風が華やかさを添えています。昭和37年(1962)にも改築されています。
三峰神社拝殿
 拝殿の正面に掲げた大額は有栖川宮一品親王殿下の御染筆になります。 内部の格天井には奥秩父の花木百数十種が画かれ、左右脇障子に竹林七賢人の透彫があり重厚な雰囲気を感じさせます。
三峰神社拝殿

 三峯神社の拝殿の手前に三ツ柱鳥居があります。三ツ柱鳥居は三ツ鳥居(みつとりい)とか三輪鳥居(みわとりい)ともいわれています。1つの明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせたもので、めずらしい鳥居の様式の1つです。奈良の大神神社とこの三峯神社のものが有名です。
三ツ柱鳥居

 この青銅鳥居は弘化2年(1845)の建立で江戸深川の堅川講中から奉納されています。荒川をいかだで引いてきたということです。奉納者の中に初代塩原太助の名も見えます。
青銅鳥居

 神楽殿は神様の御心を慰めるために舞(神楽)の行われる殿社です。太々(だいだい)神楽、里神楽といわれる神話をもとにした神楽は神楽衣装をつけ面をかぶって笛太鼓に合わせて踊ります。
神楽殿
 三峯の神楽は霧の流れる境内にひびく笛と太鼓との調和も良く巧妙な撥(ばち)さばきから宮本武蔵の二刀流を生み出させたともいわれています。
神楽殿

 隋神門は大きな八脚門です。元禄4年(1691)に社殿前の青銅鳥居前に建立されました。現在の隋神門は、寛政4年(1792)に再建されたものです。昔は仁王門でした。仁王像は明治初年、鴻巣勝願寺に移されています。
隋神門
 隋神門には「三峯山」と書かれた巨大な扁額があります。扁額の文字は伊勢長島藩主にして畫人であった増山雪齋(1754〜1819)の筆跡です。
隋神門
 
 手水社の向かいに木造朱塗りの八棟木灯台があります。飾り灯台で安政4年(1857)に建てられています。高さは6mもあります。度肝を抜くような装飾が施されています。
八棟木灯台

 日本武尊(やまとたけるのみこと)銅像は本体5.2mで、地上15mの高さにあります。
 大和は 國のまほろは 畳なつく 青垣
 山こもれる 大和しうるはし

 命の 全けむ人は 畳こも 平群の山の
 熊白梼か葉を 髻華に挿せ その子
日本武尊の銅像

 三峯神社の奥宮は三峰山(1090m)の隣の山、妙法ケ岳(1329m)の山頂にあります。この妙法ケ岳は険しい岩場もあるため、そこまで行けない人達の為に、境内の少し高い所に「遥拝殿」という見晴台があります。
遥拝殿
 正面に妙法ケ岳山頂の奥宮が望め、参拝出来るようになっていました。左側は秩父盆地が見えます。近くには森玄黄斉作のご神犬像がありました。奥宮までは徒歩で約1時間以上かかるそうです。
遥拝殿

三峯山博物館
 三峯山博物館には、宝蔵に収められていた宝物類、主として修験の山として栄えた観音院時代の資料を展示しています。
三峯山博物館
 数多くの記録文書や書画類、崇敬者より奉納された品々、また神仏混淆時代の仏像仏画経典などが収容され展示されています。
三峯山博物館



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