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埼玉の旅と歴史
埼玉の旅      秩父市

秩父神社
ちちぶじんじゃ
埼玉県秩父市番場町1−3
Tel 0494-22-0262


 秩父神社は三峯(みつみね)神社、宝登山(ほどさん)神社と並んで秩父三社の一つとされ、古くから秩父地方の総社として崇敬を集めてきました。秩父神社は、市街地のほぼ中央にある柞(ははそ)の森に鎮座しています。創建は崇神天皇の時代、知々夫彦命(ちちぶひこのみこと)が先祖である八意思金命(やごころおもいかねのみこと)を祀ったのが、始まりとされています。
 天慶年間(938 - 947)、常陸大掾・鎮守府将軍平国香と平将門とが戦いました。上野国染谷川の合戦で、国香に加勢した村岡五郎平良文は、妙見菩薩の加護を得て将門を打ち負かすことができたそうです。
 後に秩父に居を構えたとき、平良文は妙見菩薩を秩父神社の北東に勧進して祀りました。そして妙見信仰はこの地に根付きました。秩父神社は「妙見宮」、「妙見社」と称されるようになり関東武士団の源流・秩父平氏によっても信仰されました。
 永禄12年(1569)武田信玄の秩父侵攻によって、妙見宮や周りの寺社は焼き払われてしまいました。天正元年(1573)に再建を図りましたが実現できませんでした。
 天正19年(1591)、徳川家康は御朱印地10石、除地7石を安堵し、新たに50石を寄進しました。翌天正20年(1592)には、家康の命によって現在の「秩父神社社殿」が再興されました。
 権現造りの本殿は名工・左甚五郎作の「子育ての虎」、「つなぎの龍」をはじめとする絢爛豪華な彫刻によって飾られました。日光東照宮のような派手さはありませんが極才色で彩られた彫刻は歴史的価値があります。
 明治時代の神仏分離令により、社名は再び「秩父神社」に戻りました。昭和3年(1928)には、県社から国弊社に社格が上げられました。昭和28年(1953)秩父宮殿下の霊を奉斎し、祭神として合祀しました。
 昭和41年(1966)の台風で社殿が損傷しました。そのため4年をかけて解体復元が行われ、昭和45年(1970)の秋に再建されました。社殿は昭和30年(1955)に埼玉県の有形文化財に指定されています。
 中世から秩父神社には星の信仰である妙見の信仰が習合しました。今もなお年に一度の大祭である 「秩父夜祭 り」が妙見のまつりとして受け継がれ日本三大曳山祭りの一つとして数えられています。秩父祭の屋台行事と神楽は国の重要無形民俗文化財に、秩父神社神楽は選択無形民俗文化財に指定されています。

子宝、子育ての虎
 徳川家康は、寅の年、寅の日、寅の刻に生まれたそうです。それに因んで拝殿の正面には4面の虎の彫刻が施されています。特に正面左より2つ目の子虎と戯れる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康の威厳と祭神を守護する神の使として彫刻したそうです。
子宝、子育ての虎
 当時の狩野派の絵画では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴的です。
子宝、子育ての虎

つなぎの龍
 その昔、秩父札所15番小林寺の近くに「天池(あまがいけ)」という池がありました。その池に住み着いていた龍が暴れた時には必ずこの彫刻の下に水溜りができたそうです。そこで、この彫り物の龍を鎖でつなぎ止めたところ、それ以後、龍は現われなくなったそうです。
つなぎの龍
 本殿東側に描かれた、鎖でつながれた青い竜の彫刻がこの「つなぎの龍」なのです。これも左甚五郎作とされています。古来より家や地域の四方を青龍・朱雀・白虎・玄武の四神で守護するという四神思想がありました。この青龍は、秩父神社の東北(表鬼門)を守護しているのです。
つなぎの龍

 北辰のふくろう
 本殿北側中央に彫刻された梟(ふくろう)は「北辰の梟」といわれ、体は正面の本殿を向き、頭は正反対の真北を向いて昼夜を問わず祭神を守っています。祭神である妙見は、北極星を中心とした北辰北斗の星の信仰です。北辰の方角に妙見が出現するということです。
北辰の梟
 洋の東西を問わず梟は知恵のシンボルとされています。八意思金命(やごころおもいかねのみこと)も知恵の神として崇敬されています。こうしたことから、思慮深い神の使として、社殿北面に施されたと思われます。
北辰の梟

お元気三猿
 日光東照宮の「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿(さんざる)は、古来の庚申信仰に因んでいます。ここの三猿は日光のそれとは全く違った表情で「よく見・よく聞いて・よく話そう」といった仕草をしています。俗に「お元気三猿」として親しまれています。
お元気三猿

瓢箪から駒
 馬に関する諺の一つに「瓢箪から駒」があります。意外なところから意外な発見や出会いがあるという諺ですが、開運招福を意味しています。社殿西側の彫刻はこの諺に因んでいます。秩父の夜祭では、祭神は御輿だけでなく神馬に乗って御旅所に渡るため、毎年12月3日には本物の馬が2頭奉納されているそうです。
瓢箪から駒

天神地祇社
 古くから秩父神社の境内社の一つとされてきた天神地祇社は全国の一ノ宮(75座)を祀っています。これほど多くの一ノ宮の神々を祀っているのは珍しいことです。
天神地祇社

乳銀杏
 昭和8年(1933)秩父宮両殿下が参拝されたときに銀杏の苗木を植えられたそうです。女性のふくよかな乳房のように育ったことから「乳銀杏」と呼ばれているそうです。秩父宮雍仁親王も祭神に加えられています。
乳銀杏



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