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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      横浜市鶴見区

総持寺
そうじじ
神奈川県横浜市鶴見区鶴見2−1−1
Tel 045-581-6358 三寶殿


 総持寺の正式名は、「諸嶽山(もろおかやま)總持寺」といいます。末寺は13000余り、檀徒は数千万人といわれる曹洞宗の大本山です。石川県能登にあった諸嶽寺を元亨元年(1321)太祖瑩山禅師が諸嶽山總持寺と改められたのが始まりです。
 元亨2年(1322)に後醍醐天皇の勅により官寺となり、僧たちの賜紫出世の道場となりました。正平9年(1354)の後村上天皇、天文9年(1540)の後奈良天皇、同19年の後陽成天皇、正保2年(1645)の後光明天皇と5回も綸旨を受けたことから「五朝天皇綸旨」といわれています。
 室町時代には足利義満、義政からも寺領寄進され、徳川家康も元和元年(1615)千両を寄進して幕府の祈願所としています。同年、徳川幕府が五山十刹に対し法度を出したときに、永平寺とならんで総持寺も大本山となったのでした。
三松関
 盛時は16000余の末寺を従え、70余に及ぶ堂宇を構えていたそうです。明治31年(1898)本堂の一部より出火して七堂伽藍はほとんどが焼失しました。当時の住職が横浜鶴見に移転を決めました。
仏殿
 なお能登の鳳至郡櫛比の庄(ふげしぐんくしびのしょう)にあった総持寺は勧請を続け、現在は総持寺祖院と呼ばれ荘厳な伽藍を完成させました。元本山の威風と面目を今に保っています。
大祖堂
 明治44年(1911)に現在の地、横浜の鶴見に移転した総持寺は約50万平米の広大な敷地を有し、交通の便もよく、開かれた禅苑として国際的な禅の根本道場として偉容を誇っています。
紫雲台
 境内には鶴見事故慰霊碑があります。昭和38年(1963)鶴見で起きた電車事故で161名の尊い命が犠牲になりました。境内には他に「桜木町事故慰霊碑」俳優・石原裕次郎の墓などがあります。境内には、鶴見大学、鶴見女子高もあり、学園キャンパスの役割も担っています。
待鳳館

三松関
 総持寺に入る最初の門が三松関(さんしょうかん)です。大正9年(1920)に落成されています。

三松閣
 三松閣(さんしょうかく)は平成2年に完成した檀信徒研修道場です。各種セレモニーの会場ともなっています。能登の祖院にあった3本の竜の形をした松にちなんで三松閣と名付けられたそうです。地下では精進料理を食することもできるそうです。

三門
 高さ37mの鉄筋コンクリート造りの総持寺の正門である三門です。寺院の山門としては全国最大級です。昭和42年(1967)に建てられたそうです。とにかく立派です。左右の仁王像も迫力あります。
 普通は山門と呼ばれるものですが、空(くう)・無想(むそう)・無作(むさ)の三解脱(さんげだつ)に入るという意味から「三門」といわれています。

勅使門
 勅使門は向唐門様式による気品高い造りです。総欅唐破風造りで桃山式の建物形式です。皇族の方が訪れた時には開けられるそうです。1年のうち、お正月、節分、その他重要なまつりごとの時も開けられるそうです。

金鶏門
 金鶏門の金鶏とは、星の中に住む想像の鳥です。あけの鳥といって朝を表しているとのことです。ここから中雀門、玉兎門へと長い百間廊下が続いています。

仏殿
 七堂伽藍の中心建物で大正4年(1915)に作られた入母屋・二重屋根の総欅(けやき)造りの殿堂です。正面の額には「大雄宝殿(だいゆうほうでん)」と書かれています。
 中央には本尊の釈迦無尼如来(坐像、木彫)が祀ってあります。その左右には、お釈迦様の十大弟子の阿難尊者、迦葉尊者が脇侍として祀られています。

大祖堂
 大祖堂(瑞応殿)は日本一の大きさを誇る本堂で総持寺最大の建物です。高さ36m、間口30間(54.5m)、奥行き26間(47m)の鉄骨鉄筋作りです。
 大祖堂は開山堂と法堂を兼ねた本堂客殿で中枢ともいうべき堂宇です。畳千畳敷きの広さのなかで、約200名の僧侶が修業したり、一切の法要が行なわれるそうです。

紫雲台
 紫雲台は相檜造りの大書院です。禅師が全国の寺院または檀信徒と正式に相見されるところです。「紫雲臺」の揮毫(きごう)は東郷平八郎大元帥のものです。

待鳳館
 待鳳館は徳川家書院を移築したもので参拝者の客間として使っているところです。総持寺の迎賓館にあたります。

放光堂
 明治31年(1898)2隻の大きな船によって山形県鶴岡市総穏寺の本堂が献納され運ばれてきました。放光堂は総持寺が能登から移転して最初に建立(移築)された記念すべき建物です。
 放光堂は長く本堂として使用してきましたが、現在は「位牌堂」になっています。檀信徒のお位牌を安置した供養の道場で、その奥に納骨堂の常照殿があります。

鐘鼓楼
 鐘鼓楼には鐘や太鼓があり修行の合図をするところです。

 雲水群像です。
 雲水(うんすい)とは禅宗の修行僧のことを指します。雲の行くまま水の流るるままの托鉢遍路をして精進する姿です。
雲水群像



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