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神奈川の旅と歴史
神奈川の旅      横浜市金沢区

称名寺(金沢文庫)
しょうみょうじ(かなざわぶんこ)
神奈川県横浜市金沢区金沢町212−1
Tel 045-701-9573


 称名寺は北条氏の一族である金沢北条氏の祖、北条実時の創建です。寺全域が国の史跡に指定されています。称名寺の赤門は昭和7年(1932)金沢文庫駅への道路開設にともない7〜8m後退して現位置に建てられたものです。
称名寺赤門
 赤門は徳川幕府から御朱印をもらった証として門を赤く塗ったことから付けられたようです。明和年間(1764〜1772)に再建されています。
称名寺赤門
 境内入口に江戸時代後期に称名寺の五つの塔頭の一位を占めていた光明院の表門があります。横浜市指定有形文化財に指定されています。
光明院表門
 この表門は、小規模な四脚門ですが、和様を基調に禅宗様を加味した意匠となっています。寛文5年(1665)に建てられています。
光明院表門
 参道をまっすぐに行くと仁王門があります。文政元年(1818)に再建されたもので、間口5間半(10m)奥行3間半(6.3m)の楼門です。
称名寺仁王門
 左右に安置された金剛力士像は、元亨2年(1322)の鎌倉時代に制作された関東最大の仁王像で、国の重要文化財に指定されています。大仏師、院興の作といわれています。
称名寺仁王門
 称名寺境内には阿字ヶ池を中心に朱色の反橋が架かり浄土式庭園が造園されています。配置は平安時代中期以降盛んになった浄土曼荼羅の構図に基づき造られた梵字アをかたどっています。
称名寺庭園
 庭園は金沢貞顕の時代の文保3年(1319)から、翌年の元応2年にかけて造られたそうです。性一法師が作庭したようです。昭和62年(1987)復元されました。
称名寺庭園
 元亨3年(1323)に描かれた重要文化財の「称名寺絵図並結界記」によって、伽藍や庭園の配置などが描かれていたのを再現したのです。
称名寺庭園
 称名寺は、金沢山称名寺と号し、真言律宗の別格本山として西大寺末の律院で、本尊には重要文化財で鎌倉時代に造られた木造弥勒菩薩立像が安置されています。
称名寺庭園
 知識人であった北条実時は京都や遠く中国から沢山の書物を取り寄せて学問に励んだようです。これらの大量の書物を所蔵していたのが称名寺におかれた金沢文庫だったのです。その時期は実時が病で没する直前の建治元年(1275)頃といわれています。
北条実時
 文庫には、政治、歴史、文学、仏教など多岐に渡る書籍が収められていたようです。金沢北条氏滅亡後は、菩提寺の称名寺に文庫の管理がゆだねられましたが、寺運の衰退とともに蔵書も次第に散逸したそうです。
新宮跡
 戦国時代は上杉謙信軍の略奪にあいました。江戸時代には徳川家康が江戸城内の紅葉山文庫を造ったため多くの蔵書を持ち出されてしまい荒廃したのでした。
新宮跡
 明治になって伊藤博文は、明治30年(1897)に称名寺の参道東側に金沢文庫を再興しましたが、関東大震災で被災してしまいました。
新宮跡
 境内には中世の隧道(すいどう)が残っています。称名寺と金沢文庫の間に立ち塞がる岩盤をくり抜いたトンネル跡です。鎌倉時代に描かれた「称名寺絵図」にもその存在が記されているそうです。
中世隧道跡
 北条実時によって創建された日本最古の武家文庫は書籍の蒐集を目的とするもので、今のような閲覧を目的とする図書館のようなものではなかったそうです。
 諸堂宇の中心にある現在の金堂は元和元年(1681)に再建されたものだそうです。中に安置されている本尊の弥勒菩薩立像は、建治2年(1276)の銘があり、鎌倉時代のものです。国の重要文化財に指定されています。
称名寺金堂
 称名寺は北条実時が、六浦荘金沢の居館内に営んだ持仏堂から発したといわれています。その後、伽藍が整備され、実時の子、顕時の時には、弥勒堂、護摩堂、三重塔などが建立されました。
称名寺金堂
 顕時の子、貞顕は伽藍の再造営を行い、元亨三年(1323)には、苑池を中心として弥勒来迎板絵(重要文化財)に荘厳された金堂を初め、講堂、仁王門など、七堂伽藍を備えた壮麗な浄土曼荼羅にもとづく伽藍を完成させたのです。
称名寺釈迦堂
 金堂に隣接する釈迦堂には、徳治3年(1308)銘の釈迦如来立像が安置されています。これは鎌倉時代のもので国の重要文化財に指定されています。
称名寺釈迦堂
 釈迦堂の前にある鐘楼には、金沢八景の一つ「称名の晩鐘」として知られた梵鐘が吊されています。実時が父母の追善のため鋳造したのですが欠損し、貞顕が物部国光と依光に改鋳させたもので国の重要文化財に指定されています。
称名寺鐘楼
 本堂前に「青葉楓(かえで)」と呼ばれる木があります。室町時代の佐阿弥の作の謡曲「六浦(むつら)」は梅、松、藤などを人格化して草木の精として扱ったところから有名になっています。称名寺を訪れた冷泉為相が全山の紅葉に先駆け、本堂前のこの楓だけが紅葉することに感動して「いかにしてこの一本に時雨けん、山に先だつ庭のもみじ葉」と詠んだそうです。
青葉楓
 楓は非常に光栄に思い「功なり名を遂げて身しりぞくはこれ天の道なり」との古句にならい、その後は紅葉せず常緑樹(ときわぎ)になったということです。
青葉楓
 紅葉することをやめため楓は「青葉楓」と呼ばれるようになったそうです。草木にはみな心があることを語っています。この楓は近世の地誌類にも金沢の名木としてしばしば取り上げられましたが、その後、枯れてしまいました。この木は新植されたものです。
百観音
 金沢山を登っていくと百観音があります。かつて三重塔付近に西国1番を置き、顕時の墓前を通り、金沢山に登り、稲荷山、日向山を経て金堂迄の18町にわたって置かれたものだそうです。
百観音
 八角堂は金沢山の市民の森山頂にあります。北条660年忌を記念して、博文館社主であり金沢文庫の再興に貢献した大橋新太郎氏が百観音とともに寄進したものだそうです。
八角堂
 八角堂には一時期、海中出現観音が祀られてあったそうです。その後心ない者に壊され現在に至っているということです。
 八角堂付近の平らなところは八角堂広場と呼ばれています。ここからの展望は素晴らしく、横浜中心部を鳥瞰できます。左は八景島、野島方面の眺望 です。
 八角堂は小説の中にも現われます。内田康夫の「横浜殺人事件」です。岡松物産社員が金沢八景の一つ、金沢山山頂の八角堂の中で死んでいるのが発見されたというストーリーです。

 金沢は鎌倉の外港として栄えた六津湊(むつらみなと)が開かれ貿易港として賑わった所です。北条泰時3代執権は重要視して、弟の北条実泰を地頭にして直轄地としました。実泰以後、実時、顕時、貞顕、貞将と続きました。これが金沢北条氏なのです。
 金沢山の市民の森山頂から少し下って尾根伝いに稲荷山通りを行くと稲荷山休息所があり、その先に石段があります。
 ここが北条実時廟です。正面には金沢北条一門の墓があります。墓地中央の宝篋印塔が、実時の墓と伝えられています。左手に3基、右手に2基の一門の墓があります。
北条実時の墓
 実時は、鎌倉幕府の第二代執権であった義時の孫で引付衆や評定衆など幕府の要職を歴任し、文永3年(1275)には越訴奉行をつとめています。鶴岡八幡宮の流鏑馬の時でも本を読んでいたという読書家だったようです。

 昭和14年に植えられた楷樹(かいじゅ)です。「トネリバハゼノキ・ランシンボク」一般には楷の木とよばれています。昔、中国で孔子の墓の傍に植えられていたので孔子木と呼ばれ、日本でも最初は、学問と関係のある所だけに植えられたそうです。孔子信仰と関係のある湯島聖堂、足利学校などに植樹されたそうです。
楷樹



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