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群馬の旅と歴史
群馬の旅      吾妻郡東吾妻町

岩櫃城跡
いわびつじょうせき
群馬県吾妻郡東吾妻町原町
Tel 0279-68-2111


 岩櫃城は、鎌倉時代初期に吾妻太郎助亮により築城されたといわれます。城郭の規模は1.4平方kmと上州最大で甲斐の岩殿城、駿河の久能城と並び武田領内の3名城と称されました。
 その後、斎藤氏が領主になり、永禄6年(1563)武田信玄は重臣・真田幸隆に岩櫃城攻略を命じました。城主、斎藤基国は奮戦しましたが、武田氏の手中に落ちました。そして幸隆は吾妻郡の守護を命じられました。
 天正2年(1574)、幸隆の死後、長子の信綱が城主になりましたが、翌年、長篠の戦いで信綱、昌輝兄弟が戦死。真田家の3男、昌幸が相続しました。岩櫃城は武田氏滅亡の際には昌幸が武田勝頼を迎える準備をしていた城でもあります。
 真田昌幸は徳川家康の家臣となりましたが、上田の領地である沼田領を北条氏に渡すようにという働きかけを断ったため、天正13年(1585)家康は上田城を攻撃しました。結局徳川軍は千名以上の戦死者を出して引き上げました。豊臣側についた昌幸に秀吉は北条氏との仲裁をしました。
 名胡桃は真田に、沼田領の3分の1は真田に、残り3分の2は北条氏直にという内容でした。しかし、沼田全領に最後までこだわる北条氏直は、秀吉の仲裁を無視して沼田城代猪俣邦憲に名胡桃城を攻略させました。これに怒った秀吉は、 小田原城を攻め、北条氏は滅亡することになったのです。
 天正18年(1590)、北条氏の滅亡により、信幸は初代沼田城主となり、岩櫃城は沼田の支城となりました。しかし、大坂の陣の際に徳川氏をはばかって真田信之の手で破却されました。

岩櫃山
 岩櫃山は吾妻8景を代表する景勝地です。標高802mで怪岩からなる切り立った岩山です。南面は200mもの断崖絶壁になっていて中国画のような趣です。
岩櫃山

岩櫃城温泉くつろぎの館
 岩櫃城温泉くつろぎの館は岩櫃ふれあいの郷の中心的な施設です。建物が岩櫃城に似せている健康センターです。本物の岩櫃城は真田氏の居城として有名でした。
岩櫃城温泉



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